人生/快適なはずのグリーン車で、ちょっとした不安の正体

快適なはずのグリーン車で感じた、ちょっとした不安の正体
私は、普通車両が空いていようとも、やっぱりグリーン車でのんびり移動するのが好きです。静かで、座席もゆったりしていて、自分だけの時間を楽しめる空間。それはちょっとした贅沢でもあります。
時間帯によっては、グリーン車に私一人きり、またはもう一人いるかどうかという状況になることもしばしば。そんな時は「今日は静かでラッキー」と思うこともあれば、ふとした瞬間に不安がよぎることもあります。
この狭いグリーン車の空間、密室になりやすいのではないか・・・と

例えば、何か異変があっても、前後の車両にいる人に声が届かないかもしれない。そんな想像をすると、安心していたはずの空間が急に孤立した場所に感じられてくるのです。
少し話はそれますが、 私はかつて1ヶ月間の個室治療から相部屋に移されたことがあります。その時、正直とてもホッとしました。誰かが近くにいる、人の気配がある、というだけで安心できたのです。病院という場所でも、私にとって“人の目”は心強い存在でした。それは日常にも言えることかもしれません。
近年、“たまたまそこにいただけ”という理由で巻き込まれる無差別事件が増えてきたように感じます。
年齢や性別、美醜や財産に関係なく、誰もが被害に遭い得る時代になったのだと、ニュースを見るたびに感じています。そうなると、私も十分にその“想定圏内”のひとりというわけです。
グリーン車は快適で好きだけれど
もし何かあった時、本当に誰かが気づいてくれるだろうか?
車内には防犯カメラやモニターがあるとも聞きますが、あの静かな車両の奥までしっかり監視されているのか、気になってしまいます。
便利さと快適さを求めた先で、ふと立ち止まって考える「安全」のこと。
それでも私は、今日もグリーン車でのんびり移動するのだと思います。ただ、少しだけ注意を払いながら。